2007-01-20
_ [読書メモ]人間失格解毒剤−−『“文学少女”と死にたがりの道化』
人間大概若いときには自意識過剰で、そしてそう言った自意識過剰っぷりを刺激する作家・作品として有名なものとして、太宰治の『人間失格』があげられる。これに刺激された若い自意識過剰人間の症状としては、自殺や「ただ一切は過ぎていきます」とか言って達観したふりをしたがるなどがある。
まあそれはそれでもかまわないのだが、もう少し違った方向へと進む道しるべとなりうる本がこの『“文学少女”と死にたがりの道化』である。『人間失格』をモチーフにミステリー仕立てでストーリーが進んでいくが、最後に登場人物の遠子が語る太宰。これが人間失格症候群の連中の視野を広げてくれる名文句である。『人間失格』を読んで太宰を、そして人生を分かったふりをしたがっている若造向けの一冊。
しかしいきなりオープニングからギャリコとは大きく出たもんだ。ギャリコは特にプログレマニアにとってはキャメルのアルバム『白雁』のインスパイア元ということで有名。『ポセイドンアドベンチャー』を書いていたとは知らなかった。残念ながら私はキャメルのは聞いたことがあるが小説は未読。ちなみにキャメルの方では、少女の名前は「フリーザ」と訳されているが、どうも小説の翻訳では「フリス」と訳されているらしい。どうも「フリーザ」だと港龍ボールの宇宙最強のあの人を思い出してしまうので「フリス」の方がいいかも。
とってつけたようなツンデレ娘については触れずにおこう。
_ [読書メモ]人間失格解毒剤−−『心・脳・科学』
ちなみに私の思う別アプローチからの人間失格解毒剤として、心身問題について考えることをお勧めしたい。
人間失格症候群のやつらは、なんで皆そんな感情を「感じる」のか分からないとか思っているわけだが、感情とは何かを生真面目に考えている分野の一つが心身問題である。もともと心身問題とは、どうやって心という非物理的なモノが脳という物理的なモノによって実現されているのか、そもそも心ってのは脳によって実現されているのか、と言ったことを考える分野であるが、その前提としてそもそも心とは何か、どうやれば心が存在することを測れるのか、と言うのが問題になってきて、それについて延々議論がされている。
その議論のなかでの立場の一つとして、結局外から見て「心があるかのように」振る舞えれば、それはすなわち心があると見なして良いという考え方がある。それならば、人間失格症候群の人間どもも問題なく心があるのである。ちゃんとそれらしく振る舞っていればね。人が死んで悲しくなくてもかまわない。悲しんでる振る舞いをすればそれはすなわち心があることなのである。そう言う自分がキライかもしれないが、他の人間も皆そうかもしれないよ? でもそれは外からは誰にも分からない。所詮世の中チューリングテスト。
その立場の議論として有名なモノとして、「中国語の部屋」と呼ばれるモノがある。その議論を提案したジョン・サールの著書として有名なのがこの『心・脳・科学』。現代哲学者の人工知能の可能性についての著書を読んで脱太宰を図るというのも、これはなかなか乙なもんじゃなかろうか。
ちなみに私とこの本との出会いは、大学の教養部の語学の英語の講義のテキストとしてであった。一般教養の英語のテキストとしてこれってのも、今思うとすごいよな。実際これの受講者だった連中とは、その後も知的刺激を与え合う関係になったのが多かった。今でもそれぞれのblog経由などで情報・意見交換しているのが多いな。
2008-01-20
_ [CD] Pink Floyd "Meddle"
かの有名なピンクフロイドの『おせっかい』である。アブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲として有名な「吹けよ風、呼べよ嵐」、そして説明不要の名曲「エコーズ」が収録されている。
で、この「エコーズ」、良く見かけるのが「水滴の音から始まっている」という評である。さらに伊籐政則あたりだったと思うが、「ジャケットの写真は耳であり、それは砂漠を彷徨う人が水を求めて水滴の音に耳をそばだてていることを表している」なんて話にまで発展したりするバリエーションもある。実際ジャケットには水滴が落ちたときの波紋がコラージュされているわけだが。
でも俺には全くその様に読み取れない。俺の聞こえ方とそこから読み取った含意はこうだ。
「エコーズ」の冒頭の音は潜水艦のソナーのping音。「エコーズ」ってのは要はping音の「返り」の事。ジャケットの耳はエコー音を聞き取ろうとしている耳。さらに波紋はping音が伝播する様子の描写。
その根拠としては、まず歌詞は海中の描写から始まっていることがあげられる。他にも歌詞を読んでいくと、「見知らぬ人と目があった時、見ているのは自分自身である」という描写がある。
これは多分、ソナーが、音波を自分から周りに投げかけ、その反射音から周りの状況を知る、って仕組みのモノ(アクティブソナー)であることに対応していると思われる。
つまり人の間のインタラクションというのは、他人を通して自分を見ること、言い換えると、自分から出したメッセージが外部の何かに反射し返ってくることなわけで、そういう部分をソナーになぞらえて歌っているのがこの曲なんだと思う。
<< 1970/01/ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。