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人生はユーモアの調味料

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2004-02-29 読書メモいろいろ

_ この本は正月休みに実家に持ってかえって読んだのだが(それをなぜ二ヶ月もたって、と言う突っ込みは却下)、本の冒頭で、「教養主義者は里帰りの際に本を持ってかえり読書する計画をたてるのだが、たいがい計画の半分も消化できず休暇を終える」という主旨の記述があって苦笑する。やはり古人も計画通りにいかなかったのか。ちなみに今回の私は8割の達成率である。

内容としては日本のいわゆる「教養」についての変遷史。日本で教養は常に共産主義的思想とセットであった。その辺の経緯も含む。話は高等教育機関が整備されそこ出身の人がある程度の数になり世間に認知されて来た大正時代あたりから始まる。

大正時代の教養主義は、舶来的なイメージが強いが実は農村的庶民的な刻苦勤勉が背景にあった。つまり「身を立て名をあげやよ励めよ」というやつだな。しかしやがて階層化がすすんでいってブルジョア階級が成立すると、いくら刻苦勤勉したとしても、もともとの生まれから洗練されたブルジョアジーには洗練度では勝てないという事態が生じる。

そこで、ちょうどその頃に現れてきたのが、共産主義思想である。共産主義思想は平たく述べるとブルジョアジーを蔑むしそうであるので、そういったブルジョアとの位置関係を逆転できるのである。これが教養主義と共産主義思想のつながりである。

しかしながら現在に至っては、教養の地位が低下してしまっている。その原因はまずは高等教育のマス化があげられる。また、会社内でもとめられる素養が、教養主義的なものから純技術的なものになってきたためでもある。いわゆるジェネラリストからスペシャリストへの人材の変化である。

自分の興味としては、なんでいわゆる教養人のような頭のよい人たちが、あんなリアリティのない共産主義にかぶれてしまっていたのか、ということが疑問だったわけだが、この本ではその歴史的経緯が説得力のある論旨で書かれていたのでそこが興味深かった。

あとは最後の人材の素養の変化だが、スペシャリストももちろん必要ではあるが、ジェネラリストもやはり必要であることは論をまたないだろう。今までジェネラリストばかりを採用・排出してきた日本の環境も極端であったが、今度はその逆の方向に極端に振れるのもチョット違うだろう。つまり教養主義というのはやはり必要なのである。巷がその逆の方向に進んでいるとしたらよろしくない。

が、ただ思うのは、結局ジェネラリストがジェネラリストたる「すごみ」を見せられなかったのが、世の中が教養軽視の方向に進んでいる原因なのではないだろうか。ここでイメージしているジェネラリストは、現在管理職の地についている人々であったり高級官僚である。

_ [読書メモ] 日本人とユダヤ人

日本人とユダヤ人 日本人とユダヤ人

_ この日に買った本。その昔ブームとなった本だが、これはもう典型的な日本人論といっていいだろう。というのはつまり、単一の事例からの一般化、あやしげな言語論、農耕民族と狩猟民族の比較と言ったものに満ち満ちているということだ。これらは全てその辺の日本人論に共通の欠点であるが、この本も御多聞に漏れない。ちなみにこの辺の日本人論の怪しさはロビン・ギルの『反日本人論』(工作舎ISBN4-87502-100-3)が取り上げているが、この本どうも絶版っぽいんだよなあ。

でまあそれはさておき、そうなるとインチキ日本人論の読みどころは、いかにいい加減な結論をそれらしく見せるかというレトリックということになるわけだが、特に後半は、主題と関係あるかどうかもわからないような衒学的な蘊蓄の垂れ流しで、残念ながら読むに堪えない。日本人論ですらない怪しげな蘊蓄の羅列である。例えば聖書の黙示録の「蒼ざめた馬」が誤訳であると主張し、延々と"pale"と"green pale"の違いやらロープシンという作家を引いてあげつらっている。でもってこの誤訳をもって「日本人はユダヤ人を理解していない」とか吹く。そんな誤訳や不理解どの文化間にもあるだろうに、ことさら例を挙げて力説する所以が見つからない。単に蘊蓄ではったりをかけたかっただけなのかもしれない。残念ながら、荒俣宏や南方熊楠を経験した人間は、この程度の蘊蓄では感銘を受けないのだよ。

全体的には、斜に構えた皮肉な文章を書きたいようだが、結局要旨が今一つまとまらないゆえ皮肉にすらなっていない。山本夏彦の爪の垢でも煎じて食後に飲んでおくように。あと蘊蓄についても誤りが多いことはよく知られているとおりで批判本もでている。これも読んだので何か書くかもしれない。

_ [読書メモ] にせユダヤ人と日本人

にせユダヤ人と日本人 にせユダヤ人と日本人

_ これは先日書いた『日本人とユダヤ人』への批判の書。結局ベンダサンの描くユダヤ人の風習にはうそが多く、ベンダサンはユダヤ人ではないだろうと結論づけている。実際その通りで、山本七平氏は死の床でベンダサンは自分である旨告白したという。

その嘘の指摘については実際に読んでもらうほかない。私はユダヤの風習の知識はないので正否はわからないが、少なくとも説得力はこちらの方にある。

が気になる点としては、やはり本筋とは違ったところ(本人的には本筋かもしれないけど)嘘臭いレトリックが使われていることだ。というのはつまり、

山本べンダサンのユダヤ人に関する知識はうそ
   ↓
山本氏の種々の主張は信用できない
   ↓
山本氏の主張する自衛隊擁護論や靖国神社擁護論も語るに値しない論である

_ というような主張をしているのである。いうまでもなく、山本氏のユダヤ文化の知識の信用度とそれらの論の妥当性は全く独立の事象である。それを関連あることかのように語るあたりがイデオロギー的な臭みを感じさせる。その辺は「抜き」でものしてほしかったのだが。事実を元にした指摘のみで十分「読ませる」内容であったので、残念である。

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