2005-05-05
_ [社会派] ポスドク就職難
ポスドクとは、博士号を取ったものの就職先がなく、結果安定した職に就けていない身分。文部科学省が大学院重点化と称して大学院の定員を増やしたものの、就職先を増やさず(どころか減らしたくらい)、結局博士がだぶついてしまっているという記事である。この記事によるとその数約10200人(2003年度)で、だいたい毎年約2300人づつ増加しているという。そう言う状況なので高齢化も進み、40歳以上が約8%も占めているという。そうすると博士を取れる年齢から鑑みると、残りのほとんどは30台と見ていいだろう。つまり一般的には働き盛りの年齢。それをわざわざ不安定な身分において、研究以外の雑事や心労に労力を割かせているのである。
元々の大学院重点化政策は、いわゆる科学立国を目指したものだったわけだが、結局はボリュームゾーンの研究者達を、研究に集中させられない状況に追い込んだだけだった。これはもう文部科学省の失策である。大学院の学生の定員も研究職の定員も文部科学省がコントロールしているのだから。しかし公務員はそれで実害を受けないし責任も取らないのはいつものこと。
ある意味そう言う人々にコントロールされる環境下におかれるのは我慢できないと思ったのが、私がアカデミックな世界から抜けでたモチベーションであった。いずれにせよ早いうちに私がその世界から出れたのはラッキーであった。深刻になる前だったしたまたま拾ってくれるところもあったし、流行のスキルも持っていたし。
あとはちょうどその頃、いわゆる一般的なキャリア(大学3年から就職活動をはじめて卒業と同時に4月に入社、そのまま一生その会社、みたいな)を経ていなくても、普通に魅力的な生き方をしている人に出会えて実近に観察できたということもある。大学院に入ってしまうと、周りの雰囲気も自分の感覚も、もうアカデミックポストしかないというような感じになってしまうのだが、その人との出会いで、それらから解放させられて状況を距離を取って客観的に見ることができるようになった(と少なくとも自分で思えるようになった)のである。
で、話は戻ってポスドクをめぐるこの状況は、これからの日本の科学技術政策にとって重大な禍根を残すだろう。それはこういうマンパワーを生かせない環境ということはもちろんだが、その他にもある。というのは、このような状況だと結局「目端」の効くような学生はとっととアカデミックな世界からは抜けてしまう。となると残るのは、よほど社会性がないかよほど他に能がないか、いずれにせよいわゆる世俗的な物事を実効性を持たせながら進めていくのはあまり得意でない系統の性格の人が多く残る可能性が高い。そうなるとこれからの大学・研究者が求められる、そして求められてしかるべき社会との交流(これは産学協同とやらだけでなく、研究の還元とか啓蒙とかという面も)と言う点からも難が出てくるのを私は危惧しているのだ。そういうのに長けたやつだけそろうというのも勘弁して欲しいけど、バランスよくいて欲しいのが崩れてしまう(今でさえバランスが取れていると思えないのに)と、あまり生産的な状況にならないのではないかと思うのだ。
<< 2009/05/ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。